約 19,973 件
https://w.atwiki.jp/jujin/pages/853.html
池上祐一のスランプ 「……詰まった」 ある日曜の昼下がり、仕事部屋である書斎で尻尾をだらりと下げた私は困った様にポツリと漏らした。 目の前の机の上には真っ白な原稿用紙。年季の入った愛用の万年筆も今は所在無さ気に机の上に転がっている。 創作活動を行う者であれば、必ず一回は訪れる意欲・モチベーションが湧かなくなる状態。その名はスランプ。 私、御堂 謙太郎はかれこれ三日前から、このスランプと言う名の悪魔に苦しめられていた。 「こまったな…」 『片耳のジョン』の新作の構想を練り始めた所までは良かった。 しかし、ある所まで行った所で行き詰まってしまい、それによってモチベーションが急落してしまった。 むろんの事、私はそれを解消すべく書斎の本でも読んだり、窓の外の景色を見るなど気分転換を図るもなしのつぶて。 結局、書き進めるべき筆はぴたりと止まり、そのまま三日も無駄な時間を過ごしてしまった。 いかん…これではいかん。このままでは次の作品を楽しみにしてくれている読者に大変な迷惑がかかってしまう。 もし、こんな事で発売が延期にでもなってしまったら、あの白いイヌの少年もさぞ尻尾を垂らして落胆してしまう事だろう。 私は編集部や印刷所には幾ら迷惑をかけても構わないが、作品を愛してくれる読者だけは大事にしたいと思っているのだ。 ……と、こんな事が万が一、私の元担当である妻、利枝に知られでもしたら大変な事だ。余計な事は考えないに限る。 「どうした物か…」 気が付けばつい口からぽろぽろと漏れ出てしまう愚痴を塞ぐべく、 私は愛用のパイプをパイプポーチから取りだし、パイプの中へ刻んだ煙草の葉を丁寧に詰める。 そして詰めた煙草の表面全体を焦がす様にオイルライターで点火しつつ、パイプを咥えてぷかぷかと小刻みにニ、三服。 炭化しながら膨張し、盛り上がってきた煙草の葉をダンパー(煙草の葉を均す為の器具)で軽く均等に押さえて準備完了。 後は、マウスピースを噛み潰さぬ様に軽く牙で保持して、煙草の片燃えに注意しつつ心行くまで煙草の味を楽しむだけ。 このパイプ煙草は口に咥えて火を付けるだけの紙巻煙草に比べて、 準備から吸い終わった後の処理までの手順が非常に厄介かつ面倒ではあるが、 その面倒さこそが、煙草を吸う、と言う行為を実感させるのだと私は勝手に思っている。 それに、何より見た目が格好良いではないか。 それは兎も角、今はこのスランプに陥った状況を如何するか、煙草を味わいつつ考えるとしよう。 何時もならば、ここは毛皮も尻尾も無い血の繋がらぬ息子の行動観察と行きたい所だった。 息子は肉親である今は亡き親友の若い頃に似て結構やんちゃで、見ていて決して飽きさせない魅力がある。 私がモチベーション不足に陥った時は、何時もこの血の繋がらない息子の魅力に助けられたと言っても良いくらいだ。 だがしかし、私は昨日しがた、その息子本人から『俺の事を本に書かないでくれ!』と厳重注意を受けたばかり。 よって、息子の行動観察と言う案は没。モチベーション回復には結構効果的なのだが……至極残念である。 ならば、別のモチベーション回復法を探さねばならない訳だが……。 ――と、そうだ! 何時もは卓が出掛けて居ない時に使っているあの方法を使うとするとしよう。 あの方法は息子の行動観察に比べ、少々金が掛かってしまうのが難点だが、今は背に腹は換えられない。 「行くか」 思い立った私はパイプの中の煙草が全部灰になる最後まで吸い切ると、 キチンと手入れした上でパイプポーチへと戻して鞄へ放りこみ、その鞄を手に書斎を出るのであった。 「あら? あなた、お出かけ?」 階段から居間を通る私に声を掛けるは、上機嫌に立てた黒い尻尾をゆらゆらと揺らす我が妻――利枝。 恐らく、妻は庭で取り入れた洗濯物を運んでいる最中なのだろう、その両手に衣服が詰まった籠を抱えていた。 取りあえず、私は妻の問い掛けに答える代わりに軽く尻尾を振って見せる。妻は笑顔一つ浮かべ、 「あなたの事だから多分、執筆作業が行き詰まったから何時もの場所へ、って所ね?」 「む、むぅ…」 流石は我が妻、私のやろうとしている事をズバリと言い当ててくれる。思わずマズルから漏れる感嘆の呻き。 私は人から良く考えが読めないと言われる、しかし妻は長年連れ添ってきたからだろうか、私の考えを簡単に言い当てる。 それも、私は何も態度に示していないにも関わらずだ。これぞ女のカン、と言う物なのだろうか? これでは浮気なんとてもじゃないが出来やしない。……もっとも、する気も無いが。 「まあ、そう言う事をするのも良いけど。あなた、くれぐれも原稿を”落とさない”様にね?」 「……ぐ、心掛けておく」 去り際の妻から笑顔で釘を刺されてしまった。それも五寸釘サイズの釘をぶすりと。重さを増す我が尻尾。 ぬう……これでは何が何としてもモチベを回復せざるえないではないか……! 流石は私の妻、かつては作家の首を真綿で締める鬼担当として、同業者から悪鬼羅刹の如く恐れられてきただけはある。 普段、妻は何処までも優しい聖母の様なケモノなのだが、こと仕事の事となると一転、聖母の顔から般若の顔へと代わる。 特に、原稿の締めきりが間に合わない時となると、妻はそれこそ地獄の鬼すらも尻尾巻いて逃げ出す程の修羅となる。 ……因みに、妻の言う『原稿を落とす』というのは、作家の原稿が締め切り日に間に合わない事を指す。 もし、これで締め切りに間に合わなかったら……その事を想像するだけで尻尾を股の間に引っ込めてしまいそうだ。 「あれ? 親父、どっか行くの?」 妻の尻尾を見送った後、少しげんなりとした物を感じつつ数歩歩いた所で。 居間のソファで寝転がってゲームをしている血の繋がらぬ息子――卓がこちらに気付き、声を掛ける。 むろんの事、私は妻の時と同様に、何も応えない代わりに尻尾を軽く揺らして見せる。 しかし、それだけでも卓にとっては充分な返答だったらしく、ゲームをしていた手を止めて意外そうな表情で問う。 「へぇ、出不精の親父が出かけるなんて珍しいな、どんな風の吹きまわしなんだ?」 息子よ……それはお前が自分の事を本に書くなと私へ注意したからだ。 だが、その言葉は声に出さず胸の内に止めて置き。只、何も言わず静かに息子の目を見詰めるだけにしておく。 私は余計な事を言って事を荒立てるのが嫌いなのだ。そう、良く言うであろう、口は災いの元と。 「……よ、良く分からないけど、俺、何か親父の気を悪くするような事言ったか?」 如何も見詰める私の目に不穏な物を感じたのか、困った様に苦笑いを浮べる息子。 しかし、私は何の一言も返す事も、そして尻尾を動かす事も無く、只じっと息子の目を見詰めるだけにしておく。 当然、そんな私の反応に息子は更に困惑するのは必至で、 「お、おい、親父…本当に何かあるなら言ってくれよ! 何も言わないってのが一番気になるじゃないか!」 しかし、私は必死に問いかける息子へぷいとそっぽを向いて、そのまま何も言わず、すたすたと玄関へと向かう事にする。 さぁ、我が息子よ、これから答えの無い問題で散々悩むといい。これは私の楽しみを取り上げた罰だ。 ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ……… 頭を抱える息子を置いて意気揚揚と玄関を出た私は、 イヌ系種族用のゴーグルタイプのヘルメットをかぶり、愛車に跨って目的地に向けてひた走る。 愛車の名のベスパ(スズメバチ)の名の由来ともなった、2ストロークエンジンの甲高い排気音が耳に障るが、 何分、このバイクは友人から譲り受けたウン10年前の中古――いや、骨董品だから仕方が無い。 一応、そろそろこんな排ガス規制云々以前の品にとっとと見切りを付けて、新しいバイクに買い換えようとは思っているが、 元来から出不精な私に、その機会が訪れるのは今暫くは無さそうである。 「秋、か……」 走る道の先、空一杯に広がる鰯雲をみて、私はようやく今が秋だと言う事に気が付いた。 私は余程の事がない限り出掛ける事が無い上、一旦執筆作業に没頭すると時間の流れと言うものをすっかり忘れてしまう。 確か、以前に私が出かけたのは桜が花開く季節だった気がする。…あれから五ヶ月以上も出掛けていなかったのか、私は。 ううむ、次から原稿が出来た時はバイク便任せにせず、自らの足で出版社へ持っていくべきか? ―――いや、多分、無理だな。その時の私も面倒臭がってまたバイク便任せにする筈だ。 「……ついた」 そんな愚にも付かぬ事を考えつつ、息子よりも付き合いの長い中古バイクで走る事小1時間、 私が到着した場所は、中央大通りからやや外れた通りに面するビルとビルの間に挟まる様にして佇む一軒の喫茶店。 軒先に吊り下げられた木製の看板には、やや掠れたペンキの文字で『喫茶・フレンド』と書かれてあった。 その店横の駐輪場の柱へ愛車をチェーンで繋ぎ、私は脱いだヘルメットを片手に尻尾を揺らしていざ鎌倉。 「いらっしゃい…――と、おや、御堂の旦那さんじゃないか。こりゃ随分と久しぶりだねぇ」 カランコロンとベルを鳴らしつつドアを開けるや、カウンターで皿を磨いていたオヤジさんがこちらに気付き声を掛ける。 私はオヤジさんに向けて、ああ、とだけ応え、そのまま『フレンド』での何時ものお気に入りの場所へと足を向ける。 目指す場所は、店内で一番奥まった場所にある大通りに面した窓際、大通りを行くケモノや車を一望できる喫煙席である。 「ふむ」 良かった、どうやら先客はいない様だ。これで心置きなくモチベ回復が図れそうである。そう思うと心なしか尻尾も軽い。 ここは場所が良いのか、偶に私と同じ目的?の客が占有している時があり、下手すれば数時間は席が空く事が無い。 もし、そうなっていれば、私は耳を伏せて涙を飲んで、一つ隣の禁煙席に座らなければならなかった。 そう、私の様な愛煙者にとって、煙草を味わえない時間と言うのは苦痛に他ならないのだ。 ……閑話休題。 今はタバコが吸える吸えない云々の事より、肝心要のモチベ回復が先である。 息子の行動観察に続く私のモチベ回復法、それはズバリ、この喫茶店の窓から見える通りを行く人々の観察である。 意外に理解されない事ではあるが、通り行く人々を観察するとその人、そのケモノそれぞれの人生が見えてくる。 あの毛並みをヨレヨレにして疲れた様に歩くクマのサラリーマンは、仕事や家庭で相当苦労しているのだろう、とか あの尻尾を立てて軽やかにスキップするネコの少年は、これから彼女との待ち合わせ場所に向かっているのだろう、とか 道行く人々の様子から、その人が如何言うケモノで、そしてその人がこれから何をするのかを想像するのが楽しいのだ。 私が作家を志している大学生の頃は、何時もこの喫茶店でこうやってモチベ回復を図っていた事を思い出す。 それに、今行き詰まっている事を解消するにも、この人々の行動観察は実に都合が良い。 と言うのも、私の物語作りは中核となる登場人物の構想から始まると言っても過言ではない。 先ずは人物設定を作り、その次にその人物――彼らが登場する舞台を作り、その中で彼らが動く大まかな流れを作る。 そして、その後は彼らの事情や細かな舞台設定、犯人が行うトリックにその他諸々の肉付けをしていって、 最後に誤字や矛盾が無いか如何かを何度か読み返す事でしっかりと推敲し、問題が無ければ完成、となる。 しかし、それが最初の人物作りの時点で上手く行かないとなると……後は考えなくても分かるだろう。 今の私を悩ませているスランプのそもそもの原因こそ、この登場人物の構想の行き詰まりにあった。 何分、今まで22作も書き続けていた為か、自分の中にあるキャラ作りにおけるパターンもマンネリ気味になりつつある。 この前なんか、名前だけが違うだけでほぼ同一の人物を出しそうになった事もあった……無論、寸での所で書き直したが。 そんなマンネリ気味な人物作りのパターンを打破する為にも、この人々の行動観察は必要不可欠なのだ。 しかし、息子の行動観察に比べると……いや、今は出来無い事を望んだって仕方が無い。 「……」 それにしても、何時もながら思うがこの喫茶店は雰囲気が良い。 鼻に感じるは、忙しなく時間が流れる外界から切り離された、独特のゆったりとした空気。 そして、何時来ても変わらぬ、そう、まるで流れ行く時代の川から三日月湖の如くぽつんと取り残された店内の光景。 あの古い型の留守番電話は確か、私が作家デビューした頃にオヤジさんの奥さんが購入した物。まだあったとは…。 気配りの効くオヤジさんのエアコンの操作で空調も程よく効いて、残暑の厳しい盛りでも舌を出す事無く快適に過ごせる。 偶に、余り素行の宜しくなさそうな学生達も訪れる事があるが、それもこの雰囲気のスパイスと思えばさして気にならない。 まあ、なんだかんだと言いながらも、私はこの店が気に入っている事は間違い無いだろう。 さて、くだらない話はさて置いて、これから楽しい時間だ。そう考えると自然と尻尾を振ってしまう。 はてさて、これから如何言う人物が私の前を通り掛かり、如何言うケモノ模様を見せてくれる事やら、非常に楽しみである。 「……マスター、コーヒーのブラック」 「あいよ、御堂の旦那さん」 そして、心の中でこれからの事に想いを馳せつつ 早速、通り掛ったオヤジさんへ注文を行うと、私はパイプ煙草を吸う準備を始めるのであった。 それから時間も過ぎて、時計の針がLの字を示す頃、 5杯目のコーヒーをお代わりした私は、数分程前に頼んだホットケーキの到着を待ちつつ順調にモチベ回復を進めていた。 この店の窓から見える通りは狭さの割りに人通りがそれなりにあるので、人々を観察するのに事欠く事は無い。 今も、私の目の前には多くの人が通る。クマの親子連れ、杖をついた人間の老人、携帯片手の虎の女子高生、 そして暇そうに周囲を見回す何処か見覚えのある白いイヌの初老男性…――目が合った。 「……拙い」 私が痛恨の呟きを漏らすとほぼ同時、 白いイヌの初老男性――”奴”は嬉しそうに尻尾を振ると、早速、店の入り口へと向かったらしく、私の視界から姿を消す。 多分、今の私の尻尾はだらりと垂れ下がっている事だろう。もう今直ぐにも会計をすませてこの店を後にしたくなった。 だが、今更逃げ出そうとしたとしても、恐らくは会計しているうちに店に入ってきた”奴”と出くわす可能性は高い。 よって、私に出来る事は唯一つ――これから起きる事を受け入れる。それだけだった。 「……」 取りあえず、せめて気を落ち着かせようと、私は咥えていたパイプを置いて、コーヒーを一口啜る。 しかし、何時もならば香り高く美味しい筈のコーヒーは、この時は泥水のような味にしか感じなかった。 「やや! こんな所でコーヒーを飲んでいる方は池上先生!」 そして、私にとって永遠にも等しい十秒が経った所で、 何処か軽薄さの混じった聞き覚えのあるわざとらしいくらいの大声が、ぺたりと伏せている私の耳を容赦無く震わせる。 思わず、私をペンネームで呼ぶな! と”奴”へ吠え掛かりたくなったが、ここは静かな喫茶店の店内。我慢するしか他が無い。 せめて他人のフリをしようと窓の外を見ている私の努力も虚しく、”奴”の匂いと足音がずかずかとこちらへ迫ってくる。 「いやー、まさかこんな所で池上先生に出会えるなんて、本当に奇遇だなぁ!」 「……」 そして、私のテーブルの向かい側へ無遠慮に座った”奴”が、ばたばたと尻尾を振りながら嬉しそうに言った。 それに対し、私はと言うと、折角回復し掛けたモチべがスカイダイビングの如く奈落の底へ急降下して行くのを感じていた。 嗚呼、私のやる気が、モチベーションが、”奴”の所為で塵と消えて行く……。 ―ーここで、私、御堂 謙太郎と”奴”との関係を説明するとしよう。 ……本当は”奴”の事を説明なんぞしたくは無いが。分からない人もいるから今回は特別だ。 ”奴”の名は犬上 裕。”奴”は詩集作家とジャンルこそ異なっているが、私と同じ出版社に所属する作家をやっている。 そして、”奴”は私の大学生時代の同期であり、それと同時に”奴”は私の事を親友といって憚らない。 無論、私にとっては”奴”は親友ではなく腐れ縁でしかないのだが……。 大学生の頃、私は元来から一匹狼な気質だった為か、一人で行動する事を好み、常に一人でいる事を望んだ。 そんな私と行動を共にした他の同期達は決まって『狼らしくない』『協調性が無い』と文句を言い、 挙句に幼馴染の親友からは『お前は相変わらずだな』と苦笑されたが、私はさして気にしなかった。 そうして数ヶ月も経つ頃には同期達も私の性質を理解したらしく、敢えて私へ関わろうとする者は次第に少なくなって行った。 だがしかし、”奴”――犬上 裕だけは違った。 ”奴”は私の何処に興味を持ったのか、私の行く先々に尻尾を振りながら付いて周り、私の心の平穏を乱し続けた。 当然、一人でいる事を望む私は幾度となく”奴”を拒絶するのだが、 幾ら無視されようとも、幾ら邪険に扱われようとも、時には尻に蹴りを加えられようとも、 ”奴”は微塵も気にする事なく、それ所か私の事を親友とまで言い出す始末。本当に手におえない奴だった。 それでも私には希望はあった。そう、大学さえ卒業出来れば”奴”との縁は自然と切れる筈! と当時の私は考えていた。 しかし無情にも、運命は私の味方とはならず、それ所か私へ反旗を翻した。 大学を卒業後、作家デビューを果した私を待ち受けていたもの、 それは同じく作家デビューを果し、尻尾を大回転させて私へ挨拶する”奴”の姿だった。 この時ほど私は、運命の女神とやらが現実に存在するのなら、その喉元へ食付いてやろうかと考えた事はなかっただろう。 以来、この腐れ縁はカーボンナノチューブの如きしぶとさで頑丈に切れる事無く、何時までも繋がり続けている。 ……無論、私の意思を蔑ろにして。 「ホットケーキセットをお待ちのお客様、お待たせしました~」 どうやら物思いに耽っている内に、頼んでいたホットケーキが出来あがったようだ。 やれやれ、”奴”さえ来なければもう少し落ちついて食べれていたのだろうが……。 「おお、池上先生も中々気が効きますな? わたし、ちょうど甘い物を食べたい所だったんですよ」 イヌのウェイトレスがホットケーキを置くなり、”奴”は其処へ間髪いれずフォークを伸ばす。 ――って、ちょっと待て、それはお前の為に注文した物ではないぞ!? それにペンネームで呼ぶな!! 「をや? 如何したのだい? 池g…ゴホン、謙太郎君」 「……」 やっと気付いたか、と言わんばかりにばかりに、私はホットケーキの一枚を切り分けている”奴”を睨む。 しかし、”奴”は私の睨みを変に解釈したらしく、ホットケーキを食べつつパタパタと手を振って抜かす。 「あーあー、気にしなくても良いよ。残す事無く全部食べてあげるから」 そう言う意味じゃない!! 人の物を勝手に食うなと良いたいんだ!! ――っと、落ちつけ、落ちつけ、御堂 謙太郎。怒るな、怒るな、御堂 謙太郎。 私はこんなくだらない事で直ぐに毛を逆立てて牙をむくようなケモノじゃあない筈だ。冷静になれ、私! そうだ、ホットケーキくらい”奴”に食われたとしてももう一度注文すれば済む事じゃないか。 そう思った私は早速、ホットケーキをもう一セット頼む事にする。 「ホットケーキ一つ」 「あ……それが本当に申し訳ありませんが、お客さま。 ホットケーキは先ほどので材料を切らしてしまって、マスターが買いに行っている所でして……。 その為、ご注文から出来あがるまで只今から約30分ほど掛かりますが……それでも宜しいでしょうか?」 「……いや、もう良い」 しかし、犬のウェイトレスから申し訳無さ気に帰ってきた答えは、私を落胆に追い込むには充分過ぎる物であった。 なんでこう言う時に限って材料が切れるのだろうか? どうやら、今日の私は幸運の女神から見放されている様である。 いや、たまたま出掛けた喫茶店で会いたくない”奴”と出くわした時点で、私の運は地の底に落ちてしまったのだろう。 なんだか無性に腹立たしくなってきたので、”奴”がホットケーキの最後の一枚に手をつける前に皿ごと奪取しておく。 「あれ?、君も本当は食いたかったのかい? いや、済まんね」 済まんねって……そもそもこのホットケーキは私が頼んでいた物だぞ? それを取り返すのは当然の事だ。 と、”奴”へ突っ込むのも虚しいので、私は何も言わずホットケーキを切り分けて口にするだけにしておく。 だがしかし、”奴”は何する訳でもなく、ただニコニコ顔でホットケーキを黙々と食べる私の様子を眺めていたりする。 ”奴”は私の仏頂面何ぞ眺めて何が面白いのだろうか? 時折、”奴”の精神構造が分からなくなる事がある。 そんな私の考えを知ってか知らずか、”奴”はニコニコ顔のままで言う、 「そう言えば、君がホットケーキを食べている姿を見て思い出したけど、 この前……と言ってももう何ヶ月か前の話だけど、わたしの息子が君に世話になったそうじゃないか」 「……?」 ……なんだその脈絡の無い話の振り方は。 いや、それ以前に、私の家にお前の息子が遊びに来た事とホットケーキに何の関連があるのだ? そんな私の疑念が尻尾に見えていたらしく、”奴”は付け加える様に 「いや、息子から聞いた話だと、君の家でホットケーキをたらふくご馳走になったらしくてね。 それで、君がホットケーキを食べているのを見て、ふとそれを思い出した次第でね」 なんだ、そう言う事か。だったらそうだと早く言って欲しい物だ。これだからこいつと話していると疲れる。 確かに妻の利枝は客に手作りのケーキを振舞うのだがその量が半端ではない。とにかく多過ぎるのだ。 聞いた話では、妻がケーキ作りを習った先生はあるスィーツショップの店主だとか言っていたが…まさか、その先生の影響か? そう、私が物思いにふけっているとはつゆ知らず、”奴”は少し声を潜めて問いかけてくる。 「所で健太郎君、その時……息子は君に失礼な事とかしなかったかね? 息子はああ見えて結構気難しい所があってね、ひょっとしたら君に何か失礼な事を言ってなかったか心配なんだよ」 「…………」 ”奴”の息子――以前、卓が私の大ファンの子だと言って連れてきた犬の少年。確か、名はヒカルといったか。 彼は文学に対して何処までも純粋で、本と言う存在の全てを愛していた私の若い頃を彷彿とさせる少年だった。 その彼の白い毛並みと犬上、という姓で、何となく尻尾にピンと来ていたが、本当に”奴”の息子だったのだな。 なんというか……如何してこんな”奴”の遺伝子からあんな良い子が出来たのか正直、遺伝子の不思議を感じてしまう。 そう考えると自然と漏れ出る溜息、すると”奴”はそれを不穏な物と受け取ったのか血相を変えて 「え? ちょ……まさか、本当にヒカルが君へ何かしたって言うのかい……?」 「……違う」 「へ? 違う? でも、なら何故溜息を?」 「…………」 ”奴”の疑問に私は何も答えず、ただ、思いっきり憐憫を込めた眼差しを送ってやる。 暫くの間、”奴”は私の眼差しの意味を考えていたようだが、どうやら考えるのを止めたらしく、 「まあ良いか」と漏らした後、何事も無かったかの様に話題を別の物へ切り替えてきた。 「そう言えば、息子の話で思い出したけど、2ヶ月ほど前にエッセイ本を出してね、これが結構売れてるんだよ。 特にわたしと同じ年代の男性の間で好評らしくてね、何でも聞く所によると、妻帯者の苦労話に共感を覚える、とかね」 「……そうか」 ああ、そう言えば、確かそんな本を妻が持って帰ってきていたな……? だが、どうせこいつの事だから、くだらない事しか書いていないだろうと思ってまだ読んではいなかったが。 後で暇が出来たら1、2ページほど目を通してみるとしよう。 「まあそれで、その好評に付きって所でエッセイの2作目を書く事になったんだけどねぇ……。 それが途中まで書いたのは良いんだけど、ちょっとした事で行き詰まっちゃってね。いやぁ困った困った」 「…………」 ……そうは言うが、私の目には全然困っている様に見えないのは気の所為だろうか? 同じく執筆に行き詰まっている私にしてみれば、この状況で尻尾を振れるこいつの能天気さが少しだけ羨ましく感じる。 「ま、そう言う訳で、家でぼさぁっとしているのもなんだし、 何かエッセイに書ける良いネタが無いかと、そこら辺をぶらぶらと歩いてたんだけどね。 まさかこの場所で君に会えるとは夢にも思って無かったよ。いやぁ、偶然と言うのも恐ろしいもんだねぇ」 ああ、その事に関しては私も同感だ。 まさか会いたくも無い”奴”と殆ど同じ考え同じ事情同じ理由で、ここで出くわす事になるとは夢にも思って無かったよ。 つくづく偶然とやらが恨めしく感じる。本当に偶然の女神がいたなら、その喉を思いっきり食い破りたい気分だよ。 「そうだ! これから書くわたしのエッセイの2作目に君も出してやろう。どうだ、嬉しいだろ!」 「…………」 「んんぅ~? なんだか嬉しくなさそうだね? そうか、分かったぞ! 出演料が欲しかったんだね。 まあ、君も金を稼がなくては奥さんに怒られるからね。よぉし、ここは大盤振る舞いとして100円あげよう! どうだ、嬉しいだろう? 謙太郎君」 さっきから私は何も言っていないのに、こいつは勝手に話を進め始めている……ここは昔と殆ど変わってはいないな。 そう言えば私が大学生の頃も、この場所で”奴”とこう言う”噛み合わない”やり取りをやっていたのを思い出す。 大学生の私が黙ってメロンソーダを啜っている向かいの席で、同じく大学生の”奴”が勝手に話を進めて勝手に決定する。 それがあの頃の大学の帰りの喫茶『フレンド』にて、毎日の様に繰り広げられた光景だった。 ああ、なんだか思い出していると急にメロンソーダが飲みたくなったな……。 「百円はいらない」 「……へ?」 「代わりにメロンソーダ」 「ま、まあ、それで君が良いって言うなら私が注文しておくけど……おねーさーん、メロンソーダ一つ!」 私の急な心変わりに”奴”は少しだけ戸惑ったのだろう。注文する”奴”の尻尾が少しだけ逆立っていた。 材料切れだったホットケーキと違って、メロンソーダは材料が有り余っているらしく、 ”奴”の注文から程無くして、私の目の前のテーブルによく冷えた『出演料』が鎮座した。 早速、ストローを啜るとメロンの香りと共に口腔へ冷たさと爽やかな刺激が広がる、相変わらずここのメロンソーダは美味い。 無論、これも既製品なのは分かっているのだが、ここの雰囲気が一味プラスさせているのだろう。 「君のことだから、てっきり断ってくる物だと思ってたんだけどね……意外だなぁ」 「…………」 黙って『出演料』をストローで啜る私へ、”奴”は酷く意外そうに漏らす。 しかし私は何も言う事無く、ちらりと”奴”を一瞥してフンと鼻を鳴らすだけ。”奴”への返答はこれで充分。 端から見れば冷たい様にも見えるが、これも大学生の頃の私と”奴”の間ではおきまりのやり取りだ。 むしろ、大学生の頃の方が冷たくあしらっていたと言えるだろう。 「父さん…こんな所で何やってるのさ」 ぼんやりと過去を振り返っていた所で、何処か呆れを入り混じらせた声が私と”奴”の耳を揺らす。 ゆっくりと声の方向に視線を向けると、其処には”奴”と同じ白い毛並み、同じふさふさの尻尾を持つイヌの少年の姿。 それに気付いた”奴”はわざとらしいくらいに大げさに驚くリアクションを取って 「おぉ、我が息子よ! 何故こんな所に?」 「それを聞きたいのはぼくの方だよ。何で父さんが池が…ゲホン、卓君のお父さんと一緒に居るのさ」 ”奴”へジト目を向けて問う彼は”奴”の息子の犬上 ヒカルだった。 恐らくこの『フレンド』の二件隣にある『尻尾堂』で本を買っていたのだろう、 彼は店の名前が印刷された紙袋を大事そうに脇に抱えていた。 しかし、こう目の前にしてみると、姿形はともかくとして性格は”奴”と殆ど正反対だと感じてしまう。 ひょっとすると、彼は”奴”を反面教師にして育ったのかもしれないな? 「いやぁ、実は言うと彼は私の大学時代の親友でね。 次のエッセイ本に書くネタを探していたら、たまたまこの場所で彼と会ってね。 せっかく懐かしい場所であったならばと思って、彼とこうやって旧交を深めている所だったんだよ」 「……父さん、それは本当?」 「本当だって。…私は大学の頃からの親友だよな。なぁ、謙太郎君?」 「…………」 こらこら、確かにお前とは大学の頃は同期だったが、私は今でもお前の事は親友とは思っていないのだぞ? 唯一、私が親友と認めている人物は後にも先にも卓の実の父親である彼一人だけだ。こいつには其処を分かって欲しい。 ついでにいえば、息子のヒカルから疑いの眼差しを向けられているのに気付いてもらいたい物だ。 「全く、父さんはもう……ごめんなさい、卓君のお父さん」 「謙太郎で良い」 「え…? あ、なら謙太郎さん。その、ぼくの父がご迷惑をかけませんでしたか?」 私の指摘にヒカルは一瞬戸惑ったものの、直ぐに言い直して私へ心配げに問いかける。 その様子に私が、彼は本当に良い子だな。と感心した所で、空気の読めない”奴”が横から口を挟んできた、 「迷惑かけるとはご挨拶だね、ヒカル。私は彼と……」 「父さんは黙ってて」 「(´・ω・`)」 しかし、言い切る間も無く息子に一喝されて、”奴”は親に叱られた子イヌの様に耳と尻尾をしょぼくれさせる。 その父子のやり取りを眺め、私はメロンソーダをひと啜り。氷が溶けたのだろうか、ソーダの味が少し薄まっていた。 「とにかく、その、ぼくの父が謙太郎さんに迷惑掛けたなら父に代わってぼくが謝ります、だから……」 「構わん」 「……へ? それって?」 おずおずと謝り始めた所での私の一言に、一瞬だけきょとんとした表情を浮かべるヒカル。 確かに”奴”はかなりうざったらしい事に代わりは無いが、しかし、息子には罪は無い。 しかし、ヒカルが次のリアクションに移る前に、またも空気の読めない”奴”がヒカルの背をぽんと叩いて、 「おぉ、よかったじゃないか、ヒカル。謙太郎君は許すと言ってくれているぞ」 「ああ、良かったぁ…って、許してもらうのは父さんの方でしょ!」 「あれ? そうだったけな?」 ”奴”の言葉に一瞬、安堵しかけて即座にツッコミを入れるヒカル。後頭掻きながらおどけた調子で笑う”奴”。 なんだかんだ言いながらも、二人とも同じように尻尾を緩やかに振っているその姿は紛れも無い父子の姿であった。 ……をや? この父子の様子を見ていたら何だか急に創作意欲が……。 ふぅむ、そう言えば今まで書いてきた作品に出てきた登場人物には無かったな、”このタイプ”の人物は。 ひょっとすると、今までマンネリの渦中にあった『片耳のジョン』に新風を巻き起こすかもしれん。 そう考えると急に気分が乗ってきた。何となく尻尾も軽く感じる。これは少しばかり礼をせねばなるまい。 「チョコパフェ二つ」 「あれ? 珍しいね、君がそんなのを注文するなんて」 「ちょ、父さん!」 「…………」 私の突然の注文の意向を掴めなかったのか、 ”奴”は息子の制止も構わず珍しい物を見るように目を丸めて首を傾げて見せる。 しかし私は何も答える事も反応する事も無く、静かに注文された品が出来あがるまで待つ事にする。 そして、それから程無くして、イヌのウェイトレスの営業スマイルと共に運ばれてきたパフェを父子へ差し出して言う。 「出演料だ、食え」 『……??』 いよいよ私の意向が理解出来なくなったのか、父子共々テーブルに置かれたパフェを前に目を白黒させていた。 ”奴”には私から奢って来る事が余程信じられなかったのだろう、パフェに鼻を近づけてスンスンと匂いを嗅いでいたりする。 ”奴”がこうなってしまうのも無理も無い、何せ大学生の頃から今まで、私から”奴”へ奢った事なんてそれこそ皆無だったのだ。 それがいきなり私がパフェを奢ってくるとなれば、流石の”奴”でも少しは考えたり疑ったりしてしまうであろう。 「ん、ん~と、何だかよく分からないけどパフェ頂くよ? 本当に良いんだね?」 「え、えっと…あの、その、謙太郎さん、パフェ頂きます……?」 「ああ、構わん」 頭一杯に疑問符を浮かべた父子に私は一言だけ答えると、 食事の代金をメロンソーダの分だけ抜いてテーブルへ置き、さっさと尻尾を揺らして席を後にする。 もう少しこの父子の観察を続けていたい所ではあったが、こうやっている間にも創作意欲は湯水の如く湧き出し続けている。 もうとにかく時間が惜しい、早く家に帰って執筆作業に移りたい。嗚呼、白い原稿用紙が私を待っている。 「……変な謙太郎君」 立ち去る間際、きょとんとした顔をしている”奴”が漏らした言葉が妙に耳に残った。 その後、逸る気持ちを抑えながら家に帰宅した私は早速自室に篭り、執筆作業を再開。 今までの鬱屈が嘘だったかの様に溢れ出す創作意欲は留まる事を知らず、瞬く間に原稿用紙は文章で埋め尽くされてゆく。 時間を忘れ、毛繕いを忘れ、風呂に入る事も忘れ、食事する事すらも忘れ、私はただ、ひたすらに執筆に没頭し続けた。 そして、それから三日後、いいかげん心配し始めた卓が自室のドアをたたき始めた頃。 私の前には、『片耳のジョン』最新作の原稿が完成した状態で鎮座していた。 ただ、その頃の私はと言うと、空腹と疲労の波状攻撃によって完全に気を失っていたのだが。 この本の試し刷りが出来あがった時、犬上父子は知る事になるだろう。……あの時、私の言った『出演料』の意味を。 そして、それと同時に私は卓から『こう言うのも無しだ!』と厳重注意される事にもなるだろう。 何せ、シリーズ23作目となる作品のタイトルは、ずばり『探偵と白イヌの父子』なのだから。 さて、これを見た時、”奴”はどう言う表情を浮かべる事か。それが楽しみで仕方が無い。 ”奴”も私をエッセイのネタに使うと言っていたのだ、だからこう言う意向返しをしてやっても良いだろう。 そう、”奴”は親友ではなくとも、一応は友達ではあるのだから。 ―――――――――――――――――――――了――――――――――――――――――――― 参考:謙太郎のバイクのモデル http //ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB Old_Vespa.jpg
https://w.atwiki.jp/jujin/pages/464.html
武器っ娘+α 5 18 名前: 見習い ◆zYSTXAtBqk [sage] 投稿日: 2009/01/14(水) 00 45 06 ID 6uvCQVIP ≫1もふ 酉付けてみました 武器っ娘ども(一部例外 * 1人目 2人目 3人目 4人目 "5人目" 6人目 7人目 8人目 やっぱ格闘家はミニスカに限る
https://w.atwiki.jp/jujin/pages/1045.html
オトナの子ネコ 「助けてっス!!!ボクの人生最大の危機を助けて欲しいッス!!」 いつもは静かなそよ風吹き抜ける午後の佳望学園の図書室で、けたたましい悲鳴がいきなり広がった。 声の主は保健委員。ケモノの尻尾をふりふりと、ケモノの脚をぶらぶらと、そして窓際でハードカバーのラノベを一人で楽しく読んでいたところ 風紀委員長・ウサギの因幡リオの長い耳に、嫌というほど突き刺さった。それはもう、見ているのが痛いくらい。 ちょっと高めの本棚の一番上の本を取ろうとしていたのだが、片手を棚に引っ掛けて地上50cmの宙ぶらりん。 いつも被っている海賊の帽子が揺れる。眠気眼のリオの耳も同じくゆらゆらと揺れていた。 「うるさいなあ、保健委員は」 折角の放課後の時間ぐらいはのんびり読書を楽しみたいものだ。その場所を誰からも侵されたくないというのは誰しも考えること。 出来ることなら耳を塞ぎたい。本の世界に集中して、ちょっとばかしの現実逃避に浸りたい。 しかし、現実と闘う真面目のまー子の風紀委員長は「やれやれ」と本を閉じて立ち上がる。 ちょっと待て。保健委員の声のもとにいるヤツは誰だ。白くて、尻尾もたわわなイヌの少年が小さな保健委員の体を支えているぞ。 「ふう……。助かったっス!ありがとう!ヒカルくん!」 「……図書室では、静かにね」 (まあ、いっか。犬上に出番取られちゃったし。わたしはもとの巣穴に戻るよ) スカートをぱんぱんっとはたき、少々悔しい思いと安堵を胸に文学少女の姿に戻るとため息をつく。 図書室の窓が額縁のように校庭に立つ大きなイチョウを描き、梅雨の合間の光を受けていた。 外の陽気に誘われて、ふと景色に浮気すると校庭のイチョウに一人の子ネコが枝にお座りしているのにリオは目を奪われる。 「初等部の子だよなぁ、あの子。確かコレッタの友達のクロって」 風が吹きぬける。枝葉が揺れる。夏のにおいを掻き立てる。暦が青い空の季節だと教えてくれる。 そうだ。窓越しながら四季の贈り物がリオに届いているようじゃないか。しかし、リオの琴線に触れたのは感傷的な夏風ではない。 「むはっ!?」 いたずら者の夏風が子ネコのスカートを捲り上げ、甘いにおいをまき散らした。くんくんくん。 熟れる前の甘ずっぱい桃がリオはお好み。子ネコはクロネコ、紺色ぶるまが眩しくて、リオの瞳に焼き付いた。 それでも子ネコはふんわりと「クロも風に乗ってみたいニャ」とでも言っているかのようだった。 ちらり!ちらり!ぶるまがちらり! だって、だって!ぱんつじゃないから恥ずかしくないけど、ぶるまだったら恥ずかしいもん! (むっはー!クロー!オレだ、結婚してくれ!!夢のようだよ!) 「そう!ボクの夢は立派な保健委員になることっスよ」 「……」 ヒカルは保健委員が持つ注射器や聴診器の絵が描かれた本の表紙を見つめて、大きな尻尾を揺らした。 司書さんが待つカウンターへと、本と志を胸に抱きながら保健委員はヒカルと並んで静かにじゅうたんを踏み鳴らす。 白魚のような細い指でバーコードを読み取ると、貸し出し伝票がプリントアウトされ、ヒカルはじっとその指を見つめていた。 「はい、ヒカルくん。再来週までよ」 「はい」 とみに話しかけられたヒカルはぴくっと尻尾を跳ねさせたが、それもまたシアワセと言うか幸せ。 図書室でお気に入りの一冊を借りると、ヒカルと保健委員は好きな本のことを話しながら部屋を去った。 一方リオにとって、もう読書どころじゃない。いくら活字の森に迷い込んでも、ろりっ娘が一人いれば平気だもん! ろりっ娘がいれば何でも出来る!ろりっ娘に応援されれば怖いものはない!ろりっ娘は正義だ!コッカイで決まったのだ! 「むはー!封鎖された初等部の教室で、ろりっ娘からいじくりコンニャクされたいおー!」 ボブショートの髪を掻き乱す。リオの屈折したメガネに、クロのぶるまが焼き付いてしょうがないのだ。眼福、眼福。 おでこを窓にくっ付けて、両手をサッシに乗せて「また風が吹かないか」と、邪心を燃やす姿は非常に残念だ。 このまま時間がゆっくりと過ごしますように。そうだ、八百万の神々がいるのだから、ろりっ娘の神さまもいるに違いない。 ろりっ娘の神さまにわがままを通していいですか?と、頬を赤らめるこの風紀委員長はもうダメかもしれない。 「あっ?!ちょ、ちょっと!!」 目を疑うとはこういうこと。 肝を冷やすとはこういうこと。 冷たい視線にさらされるということはこういうこと。 イチョウの枝から子ネコが消えた。ふわりと風にさらわれるかのように。残った梢はちくちくと揺れる。 子ネコが枝から落っこちたのだから、リオも「クロかわいいよクロ」と言っている場合じゃない。 「う、うわーん!!保健委員!保健委員はどこ!」 悔しいことに地上が見えない。もしかして、クロが一人でしくしくと泣いているんじゃないかと母性本能一杯に胸を熱くするリオ。 「こんなときに、なんで保健委員がいないの!もう!」 読みかけの本そのままに、司書の織田が止めるのを聞かずに、脱兎の如く本棚の隙間を駆け抜けた。 「『時間に追われたウサギを追って、アリスは穴に飛び込んだ』。そう、不思議の国への誘いはときを選ばないものさ」 「あら……お珍しいですね」 「あわてんぼうのウサギが忘れ物を手に、ぼくは不思議の国へと行ってくるかな」 長い髪をふわりとかざし、細身の体に似つかわぬ尻尾を振り、リオが置き去りにした本を手にして貸し出しの手続きをするイヌの音楽教師。 この伊達男の言うことを本気に取るか、取らぬかはあなた次第。 「はい、ヨハン先生。二週間ですよ」 「そうだね、織田くん!また二週間後に君に会えるなんて、この本に感謝しなきゃね!」 颯爽と本を手に図書室を立ち去るヨハンだったが、二週間後、織田は一週間有給休暇を取っていた。 ―――「白先生!白先生!!」 保健室の扉の音が鳴ると同時にリオがわめきたてる。息を切らせたリオは肩で呼吸をすると、コーヒー豆の香ばしさが鼻腔をくすぐる。 サイフォンからは湯気が立つ。沸かしたてのコーヒーを魚の絵の描かれたマグカップに注ぐのは保健医の白。 酸いも甘いも聞き分けた三十路ネコミミにリオの声がつんざき、白はちらりと爪をちらつかせる。 手にしたマグカップから湯気がメガネを白く塗りつぶし、オトナの階段踏み外す三十路にほんのひと息の休息。 そとの光を嗜みながら、白はすっと椅子から立ち上がりコーヒーを口にして、眩しい白衣も落ち着いたオトナのさまを見せる。 「因幡っ、うるさいぞ。また捻挫でもしたのか?」 「ク、クロが……木から」 保健室に陶器の割れる音。床がコーヒーで褐色に染まる。 跳ね返った雫が白のスリッパにしみを残すが、まだ気付くことはない。 「急ぐぞ!どこだ!!」 爪を引っ込めてやさしい手には救急箱。そういえばババアの半分は優しさで出来ているらしい。 ウサギはスカート、(三十路)ネコは白衣を翻して床に散らばったコーヒーを踏み付けて校庭へと急いだ。 先頭を切って白が風になる。廊下を駆ける二人に今「廊下を走っちゃいけません」だなんて話しかけたら、きっと引っ掻いてくるだろう。 目の色を変えて全力疾走する二人は誰よりも勇ましかった。しかし、三十路を過ぎた白にはこの廊下は長すぎる。 やがて失速してきた白をリオが追い越すと、体全体で呼吸をしながら枝から消えたクロを案じる。 髪の毛を乱し、足元はコーヒーで汚した白は、かすれた声でリオの背中を言葉で追う。 「木程度の高さならネコなら……多少は大丈夫のはずだ!でも、子ネコは……ハァ」 「白先生!誰か来ますよ」 確かに二人の方へ数人の生徒たちが向かってくる。そのうち、一人は生徒ではないようなのだが……。 ごめんなさい!ごめんなさい!みんな白先生のこんな醜態見ないで下さい。といわんばかりでリオは白を庇った。 息のあがった三十路はどんな飢えた野獣よりも気が許せないのだから、必死にリオは白を両手で隠す。 それでも二人に近づく人の群れ。よくよく見るとおんぶをされている子が一人。いや、失礼。オトナに対して『子』はないな。 「白先生!急患です」 「たいしたことない!たいしたことない!!」 「急患って……タスクくん?てか、犬上。何やってるの?」 リオが目を丸くする。犬上ヒカルは足を止める。廊下を凝視しながら白は未だ呼吸を取り戻さない。 さっきまで図書室に居たヒカルが小さなイヌのサン・スーシ先生をおんぶしてやってきた。頭に立派なたんこぶがこしらえられていた。 一緒にいた中等部の生徒、タスク・ナガレにアキラによるとグラウンドで野球をしていたところ、脳天でボールをキャッチしたらしい。 青ざめた顔をして保健委員が針小棒大にわめきたてる。 「大変ッス!取り合えず患部を冷却するッスよ!!」 「たいしたことない!たいしたことない!!」 「そう言えば『白先生は勘弁だぁぁ!!』って叫んでたっけ、ナガレ」 アキラの一言で顔を曇らすサン先生、そして保健委員が何か口にしようとした瞬間のこと。 ホウセンカの種のように白先生が立ち上がる。チャージ完了、リミッター解除せよ! 「急ぐぞ!因幡!!」 「白せんせー!サン先生はどうするッスか?」 「つばでも付けとけ!」 全力三十路は光差す玄関へ向かって消えていった。 白先生を追い駆けてリオが玄関までたどり着いて、靴を履き替えている最中のこと。とてもいやなものを見た。 出来れば無視をしておきたいのだが、一応『真面目のまー子』のリオにとって、学園の中ではそういうことは避けておきたい。 上質の絹のようなロングヘアーに、誰もが知っているブランドもののシャツ。黙っていればいいのにそれを自らぶち壊してしまう減らず口。 「わざと本を置き去りにしてぼくを誘うなんて、恋するジュリエットも考え付かないだろうね。ぼくの名前で貸し出ししてるからね」 「うっ、ヨハン先生……あの、急ぎますから」 「ただならぬ恋ほど燃えるということは、シェイクスピアの戯曲も雄弁に語っているのだよ」 きっと、悪気はないのだろう。だが、リオはどうしても目の前の教師にふつふつと「蹴り飛ばしてやりたい!」という 悪しき考えだけがこみ上げてくるのだ。ヨハンは優しくリオに手にしていた本を渡すと、リオは目を吊り上げる。 「わたし、急いでますから!それに又貸しはいけません!」 「はは!まあ、恋は焦らずに」 (うるさい!)と言いたいの我慢して、本を突っ返しリオはイチョウの木へと急いだ。 しかし、イチョウの木の下には子ネコは居なかった。しかし、代わりに居たのは子ネコでなく三十路のネコだったのは遺憾である。 「因幡、いい加減にしろよ」 まだまだ高い太陽を背にして、シルエットが浮かび上がる。腕組みをして白衣を風で揺らす白先生の爪がきらり。 イチョウの木の幹には子ネコが付けたであろう爪の跡。きっと、クロがよじ登るときに爪を立てたに違いない。 だって、見たんだもん。この目で確かに見たんだ。でも、クロはいないし。 リオはぐっと両手を握り締め、瞳に光るものを浮かべていた。 「まったく、ミナは何しに来たんだよ!」 聞き慣れたバカに大きな声が白を超えて飛んできた。たんこぶが引いたのか、遠くでサン先生がグラウンドを歩いているのが見える。 隣にはリオには見慣れぬネコの女性、年の頃は二十代後半か。程よい色気と、健康的な明るさは少年のようにさえ見える。 背の低いサン先生がぴょんと跳ねたかと思うと、「ミナ」と呼ばれた女性のネコはサン先生の頭を鷲掴みにする。 「……サン先生だ」 「やれやれ。サン先生もお騒がせだよな」 お似合いなのか、不釣合いなのかそれは二人が決めることだが、リオの目からは二人とも似つかわしく映った。 オトナのネコだ。オトナのネコ。 子ネコをとっくに卒業して、爪を立てることを忘れ、笑って悩みなんか吹き飛ばしちゃうオトナのネコ。 きっと、クロもいつかはオトナのネコになるのだろう。そのときは、もうわたしたちのことなんか忘れてしまっているかもしれない。 悲しいね。悲しいね。もしも、オトナになってわたし、因幡リオに出会うことがあったらほんのちょっとでいいから、 わたしの白い毛並みの腕に爪を立ててちょうだいね。きっと、あなたは子ネコの頃を思い出すかもしれないから。 口を滑らして、白先生にぽろりと漏らす。 「……オトナのネコですよね。カッコイイですね。先生も憧れませんか?」 「わたしもオトナのネコだっ」 地雷を踏んでサヨウナラ。早くここからさようならしたい、と冷や汗をかきまくるリオに、ふとそよ風が髪を撫でる。 いや、風なんか吹いていないが、確かにリオにとってはそよ風だ。さっきまでイチョウの枝に座っていたクロが、 グラウンド脇のイチョウの木に「先生、さようならニャ」と手を振りながらやって来たのだから。 「ク、クロ?今から帰るの?」 「……そうだニャ」 ランドセルを担いでいるクロは、二人をじっと穴が開くほど見つめると一言。 「白先生、とりあえずお部屋のスリッパを履きかえるニャ!」 おしまい。
https://w.atwiki.jp/jujin/pages/339.html
キミは入っちゃダメ 370 名前: 創る名無しに見る名無し [sage] 投稿日: 2008/12/02(火) 23 58 27 ID zNT1tlOd 致死性遺伝子って、三毛猫(ジャパニーズボブテール)の 雄が生まれないのも同じメカニズムでではなかったのかしら? 何となく、タブーな関係と血を絡めて書いてみたくなりましたのでした。 もちろん遺伝云々への他意は有りませんので… これで、一応最初に書きたかった文章三つが書き終わって満足です。 あ、英先生の昔の恋か… 363 名前: 創る名無しに見る名無し [sage] 投稿日: 2008/12/02(火) 22 27 09 ID BYimiCiE モグラ? それともヒミズ? 本が顔に近いのは視力悪いせいかな ≫363一応モグラのつもりで。 ≫365そのコーナーの外ではこんな攻防が。
https://w.atwiki.jp/jujin/pages/65.html
ボールは友達ィ! 326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 03 03 30 ID 3DaZn7Vs 今更ですが「ヌコ小学校」はSS書いたあとに適当に付けた題でスんで無視して結構です。 当初は≫98さんのギャルソン犬を保健の先生の彼氏にしようかと思ってたくらいです。 331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 20 21 43 ID NExzOZpb ≫326 うほっ…彼氏役にされるなら喜んでいじって頂きたく。 というか自分も勝手にネタ広げて何だが今更申し訳ないぜー。 数学の先生 スレ>>331 中等部お気楽三人組 中等部(?) これで全部書いたものはまとめたぜ
https://w.atwiki.jp/jujin/pages/791.html
夏の邂逅 青々と茂る街路樹の道をバイクで駆け抜ける。 夏の空気がさわやかな風となって、純白を保つわたしの尻尾を吹き抜ける。 大人達はまだまだ仕事に勤しみ、学校を終えた子供達が遊びの計画を立て始める、そんな時間帯。 今日の修理の仕事は予想外に早く終わった。難航すると予想していただけに、とても気分がいい。 さて、これからどうしよう。街に繰り出してみようか。 少し遠出をして、海沿いの道を走るのも気持ちいいだろうな。 アイツと行った、あの海沿いの道。 よし、アイツに会いに行こう。 昨日の今日会ったばかりだって? いいじゃない。大学時代は毎日のように顔を合わせてたんだから。 あの学園には、アイツからバイク関連の呼び出しを受けて行くのがお決まりのパターンだけど。 用事がなくても、たまにはわたしから会いにいってもいいよね。 アイツってば全然こっちの仕事場には顔を出してくれないんだから。 まあ、それだけ教師の仕事も忙しいんだろうけど。少し待ってみて会えないなら別に何か考えよう。 ふふ、アイツは元気にしてるかな。この暑さにばててたりしないだろうか。 弾むような気分で、わたしは佳望学園へとバイクを走らせた。 学園に人影はまばらだった。本来なら下校を始めているであろう子どもたちの姿も見えない。 おかしいなと疑問に思ったが、すぐに気付いた。そうか、学生はもう夏休みなんだ。 いつもよりだいぶ少ないとはいえ、学園に人の気配は十分に感じられた。 校舎からは管楽器の演奏が、グラウンドからはバットにボールが当たる小気味の良い音が聞こえてくる。 何度かお世話になっている自転車置き場に愛車を止めて、誰かいないかと見回しながら学園の敷地内を歩く。 用もないのにいきなり訪ねていって、アイツの仕事の邪魔をしちゃいけない。 アイツに知られず確認するなら、生徒の誰かに聞くのがいいだろう。 お、あの子は…ちょっと小さいな。あれは…いやもっと真っ白で… ……あれ? 見知った顔を探していたつもりが、いつのまにか白いふさふさの尻尾を探していた。 そんな自分に気付いて苦笑する。わたしったら、あの子にも会いたかったのかな。 毎回毎回、そう都合よくは会えないだろう。 やがて、グラウンドを外れた広場でキャッチボールをする知った顔を見つけた。 あの子達は確か… 「おーいタスクくーん!ナガレくーん!」 投げようとした手を止め、振り返った犬の少年が驚いた声を上げる。 「あれぇ?えっと…すぎも」 「ミナでいいよ!」 前にもこんなやりとりしたなあ。あの少年の真っ白な毛並みを思い出してクスリと笑う。 「いいなあ、夏休みかー。君たち今日はどうしたんだい?」 「今日が終業式だったんです。半日でしたけどまだ残ってる人はいますよ」 「ふーん。あれ、もう一人の…アキラ君は今日は?」 「ああ、それがあいつ…期末の数学でひどい点とって、今サン先生の 『数学の苦手を吹っ飛ばせ!サンのスーパー補習講座!』受けてるんです」 「ははは、そっか。じゃあサンは今忙しいのか」 「えっと、サン先生に用事ですか? できるまで徹底的にやるって言ってたからいつ終わるのかわかりませんよ」 「ん、わかった、ありがと。こっちも大した用事じゃないんだ。ちょっと待っててみるよ」 「待つならあそこのベンチがいいと思いますよ」 タスク君が指さした先には並ぶ植木と、その下にベンチが一つ。あそこなら校庭全体がよく見えそうだ。 「おっ、いいねえ! 気が利く男子は女の子にもてるぞタスク君!」 「やっ、やだなあ…何言ってるんですか」 恥ずかしそうに否定するタスク君とナガレ君に軽く別れを告げて、わたしは彼が教えてくれた場所へ向かった。 普段から多くの人が使っているであろう、空色のベンチ。木陰に吹き抜ける風は涼しく、夏の暑さを感じさせない。 近くに自販機もある。校庭が一望できて、人の出入りも確認できる。いい場所を教えてくれたタスク君に感謝しよう。 さてと、どれくらい待ってみようかな… 「……来ない」 何度思ったかわからない心の声が、つい口から出ていた。 傍らのグローブとボールを見やり、小さく息を吐く。これを使っていた二人はもう帰ってしまった。 返却は運動用具倉庫の隙間から放り込んでおけば問題ないらしい。アバウトな学園だ。 高かった太陽は今は大きく傾き、学園は夕暮れの雰囲気に包まれていた。 吹奏楽部や野球部の音もやがて消え、教師の帰る姿も見られる。 それでもアイツの姿は見えない。 わたしも最初はこんなに待つつもりはなかった。ここに来る前から決めていたことだ。 ある程度時間を決めて、それで会えなかったら今日は諦める。そう決めていたのに… 時間になった。アイツも忙しいんだな。仕方ない、今日は帰ろうか… でも、もう少し待ってみよう。もうちょっと待てばアイツがひょっこり顔を出す気がする。 いやいや、もう少し。あと十分。あと五分… そんな感じでもう少し、もう少しが重なって、結局こんな時間まで待ってしまった。 まるで煮え切らない情けない自分に苦笑する。 …なんでだろ。わたし、こんなにもアイツに会いたかったのか。 目をつぶり、大きく息を吸って、吐いた。このもやもやした気持ちごと吐き出すように。 何をやってるんだ、杉本ミナ! お前はもう大人の女なんだろ。 いつまでもうじうじしてるなんて大人失格だぞ! 「よしっ、帰ろう!」 自分を叱咤して、勢いをつけて立ち上がった。暗くなる前に帰ろう。今日はさよならだ、佳望学園。 大きく伸びをして、最後の挨拶のつもりで学園を見やった。 ふと、ある一点で目が止まった。教職員出入り口辺りに佇む人影がひとつ。 アイツではない。スラリと背筋の伸びた犬の女性。実際に会ったことはないけど、わたしはその姿に心当たりがあった。 そうだ、あの人は… 自然と、わたしの足はそちらへ向かっていた。 近づく背中。はっきりしていく姿。 結わえた後ろ髪に、ゆったりと揺れる尻尾。 「………」 「…あ、あの、はじめまして!」 少しの間躊躇ったが、思い切って声をかけた。 耳を倒さないよう、尻尾を太らせないように強く意識する。 振り返る彼女の前髪がふわりと揺れる。 「あら、あなたは…」 「無断で学園に入って申し訳ありません! あのわたしサン…先生の知り合いで杉本ミナっていいます、はじめまして」 正直緊張していたわたしは、必要なことを一気にまくしたてた。 大丈夫だよね。言ってること間違ってないよね。 「前にも学園に来てたわね。はじめまして杉本さん、私は教師の英です」 やっぱり。この人が英先生だ。 部外者のわたしが学園にいることで注意されないか不安だった。 柔らかく微笑む英先生の姿に、わたしは心の底から安堵する。 「サン先生に用事かしら? 生憎彼はまだ仕事中なのよ。そろそろ終わるころだと思うんですけど…」 「いえ、いいんです。大した用事ではないので」 「もう終わってるかもしれないわね。職員質に帰っているようなら呼んできましょうか?」 「いえいえ! お仕事を邪魔してはいけないので!」 「そう…わざわざ来てくださったのに悪いわね」 「わたしは大丈夫ですので…その…」 言葉に詰まる。今言うべきことがあるのに、その言葉が出せない。 初対面のこの人に失礼にあたるのではないか。迷惑をかけてしまうのではないか。 でも、今を逃したら次のチャンスはいつになるかわからないのだ。 今だ。今言わなければ… 「…あ、あの!」 意を決して声を出した。英先生は少し驚いた顔を見せる。 「なにかしら?」 「英 美王先生…ですよね」 「あら…?名前まで言ったかしら?」 「その…あなたのことは前から知ってたんです。サン先生に聞いてました」 「あら、そう、彼が…」 「それでずっと、直接お会いして話してみたいと思ってたんです」 今言うべきことは言った。わたしは不安に押しつぶされそうになりながら、黙って答えを待つ。 「そうでしたか…」 英先生は少し考えた後、わたしの隣を抜けて歩きだした。慌てて目で追う。 「え? あの!」 「ここで立ち話もなんですから。そうね、あそこのベンチでいいかしら?」 「あ、ありがとうございます!」 「いえいえ、私も少し休憩しようと思っていたのよ。ちょうどよかったわ」 英先生を先に少し歩いて、先程まで座っていたベンチに今度は二人で座った。 どう切り出せばいいか困っていたわたしに気付いて、英先生が先に口を開いてくれた。 「改めてはじめまして。英語教師の英美王です」 「あ、はい、はじめまして。サン先生の知り合いの杉本ミナです。父とバイク屋をやってます」 「サン先生と知り合ったのはバイク関係で?」 「いえ、大学時代からの友人です」 「え…あなたは…?」 「…?」 何か疑問を感じたようで、英先生の言葉が止まる。わたしはなんのことかわからず首を傾げる。 「…あ、いえ、なんでもないわ。ごめんなさい、忘れてちょうだい」 「あ、はい」 少し考えて自己解決したようだった。 「それであなたは…サン先生から私のことを聞いていた、と?」 「はい。結構よく話してました」 「厳しくて口うるさい人?」 「えっ、ええっとその……はい。そんなことも言ってましたけど… でっでもその全然そんなことないですよ!わたしはとっても優しくていい人だと思ってます!」 慌てて否定するわたしを見て、英先生は優しく微笑む。 「ふふっ、ありがとう。でもいいのよ、その通りなんだから。 何が良くて何が悪いかなんて、結局その人の価値観でしかないわ。 彼の判断で良かれと思ってやっていることも、私はきっと否定してしまっている。 そんな私ですもの、嫌われても仕方ないと思うわ」 「そんなことありません!!」 思いもよらない一言に、つい声が大きくなってしまった。英先生ははっきりと驚いた顔でわたしを見ている。 「あっ、ごめんなさい…」 「そんなことって?」 「その…英先生が嫌われているなんて…そんなことないです」 そんなことない。 アイツはこの人のことを悪く言わない。直接話してこの人から受けた印象は、アイツの話から受けた印象のままだった。 話の内容こそ愚痴でも、どこか嬉しそうな調子を感じる。 サンは英先生のことを決して嫌っていない。いや、むしろ……… 「英先生は…サンのことをどう思ってるんですか?」 ほとんど無意識に、ポツリと言葉が出た。 「え…?」 言葉が出て、英先生の小さく驚く声を聞いて…やっと気付いた。 「あ…!」 耳がカッと熱くなるのを感じる。なんてこと聞いてるんだわたしは。 確かに聞きたかったことではあるが、これはさすがに直接的すぎる。 「あ、いえあのそのっ! サッ、サンの仕事って直接見たことないので! 教師としてのサンはどんななのかなって思って!」 慌てて手を振りながら、なんとかフォローした。 英先生は、ふふっ、っと小さく笑って答えてくれた。 「そうね…たまに提出が遅れたりするけれど、基本的に仕事は真面目にやってるわ。 関係ないことをやっているように見えても、ほとんどの場合期限までにはきっちり仕上げてくる。仕事の効率がいいのね。 初中高等部を兼任していて誰よりも忙しいはずなのに、そんな様子は全く感じさせない。 授業もわかりやすいって生徒にも大人気。私よりもずっと優れた教師よ、彼は」 「そう…なんですか…」 サンがすごいヤツということは大学時代からよく知っていた。 そう、わたしがどうやってもこの人には敵わないと、教師になることを諦めるほどに。 しかし、わたしとは経験が違う現役のベテラン教師からも、そこまで評価されていたとは… 「…驚きました」 「ふふっ、そうね。私も最初はそう思ったわ。 あ、私がこう言っていたことはサン先生には内緒にしてね。あの人きっと調子に乗っちゃうから」 「あはは、そうですね。サンには内緒にしておきます」 改めて思った。すごいヤツだったんだ、アイツ。 「彼のことは……そうね、尊敬、してるわ」 「尊敬…ですか」 「ええ」 尊敬…か。 どこかほっとしたような、嬉しいような気持ち。驚きと、ほんの少しの疑惑。 それらの感情がぐるぐるとわたしの中で渦を巻く。 「…不思議な人」 「…え?」 考え呆けていたわたしは、英先生が続けて発した言葉に反応するのに、少しの時間を要した。 それに気付いていたんだろう、英先生は一呼吸おいてから、言葉を続けた。 「普段の彼とは違う別人のような一面、感じたことはあるかしら?」 「あ…あります!」 想定外の言葉に驚いたが、確かに、そういうことがあった。 何度か感じたことがある。例えば、中睦まじい母子を見たとき。若いカップルを見たとき。 それ以外にも時折。アイツの顔が、言葉が、まるで別人のように感じることがあった。 わたしの答えを受けて英先生は、そうね、彼は…と続ける。 「子供みたいな人かと思えば、不意に別の…大人の顔を見せることもある。 まるで別人のようだけれど、それもまた紛れもなく彼自身で。 まだ若いのに、私よりもずっと深く複雑な人生を歩んでいる…」 英先生。この人… 「彼のことを、もっと知りたい。私はそう思っているわ」 この人は…もしかして… 「…どう? 質問の答えになったかしら?」 「あ…」 そこまで言われてはっと気付く。英先生はつい出てしまった最初の質問に答えてくれていたんだ。 「は、はい! ありがとうございました!」 またしても耳に熱が集まるのをわたしはじんじんと感じていた。 「その…すみません。失礼なことを聞いてしまって…」 「ふふっ、いいのよ。なんだか学生時代を思い出したわ」 「そう…ですか…」 この状況でまた聞くというのは気がひけた。 でもそれ以上に、新たに生まれた疑問を聞かずにはいられなかった。 「英先生。あなたは…」 「…?」 「あなたはサンの過去…フリードリヒのこと…知っているんですか?」 わたしは知らない。噂はいくつかあったけど… ドイツ出身。本名はフリードリヒ。確かなのはそれだけだ。 わたしが何度聞いてもはぐらかされてしまう。たぶん誰にも話していなかった、サンの過去。 この人はもしかして、それを知っているんじゃないだろうか。 しばらく考えていた英先生が、やがて口を開いた。 「……知っているわ」 「それは…サンから…?」 「ええ。彼から聞いた話よ」 …やっぱり。 この人はわたしとは違う。サンにとって、特別な人なんだ。 予想はしていたので、驚くことはなかった。しかし… 「そう…ですか…」 感じた落胆は小さくなかった。 俯いていたわたしの耳の付け根に何かが触れる。 柔らかく頭を撫でるそれは英先生の手だった。 「あなたは…本当にサン先生のことが好きなのね」 顔を上げると、微笑む英先生。まるで母のようだ、そう感じた。 「えっ…と…その…」 「わかるわよ。私だって元、女の子ですもの」 「…はい」 わたしを撫でる手から、英先生の優しさが伝わってくる。気持ちいい。心が安らぐ。 「大丈夫よ。あなたの気持ちはきっと彼に届くわ」 「………」 わたしはしばらくの間、彼女の優しさに身を委ねていた。 少し経って、わたしを撫でていた手がピタと止まった。 その手を口元に当てて少し考えた後、英先生はポツリと呟く。 「最終的にはちゃんと言わないとわからないかも…」 「やっぱり…そうですかね」 「あの人そういうことには鈍感っぽいもの」 「英先生もそう思うんだ…」 ベンチに置いていたわたしの手に、英先生の手が重なった。 口調が、わたしに向けたものに変わる。 「でも焦ることないわ。あなたたちはまだ若いんですもの」 「そんな、英先生だって」 「いいのよ。私のことは気にしないで」 わたしの手が持ち上げられ、英先生の両手に包みこまれる。 「過去の話だって、いつか彼の方から話してくれるわよ」 「そう…ですかね」 「ええ、きっと。あなたを応援してるわ、杉本さん」 「ありがとうございます…英先生」 沈んでいた気持ちは、わたしの中からすっかり消え去っていた。 空に一番星が輝きだした。英先生がベンチから立ち上がる。 「さてと、そろそろ仕事に戻らなくちゃ」 しまった。英先生がまだ仕事中だということを完全に失念していた。 英先生に続いてわたし慌てて立ち上がり頭を下げた。 「仕事中に長く付き合わせてしまって申し訳ありません!」 「そんな気にしなくていいわよ。私もいい気分転換になったわ」 わたしの体を起こして、英先生は言葉を続ける。 「そんなにかしこまらないで。私たち、せっかくこうやって知り合えたんだから」 ね、杉本さん。そう言って英先生は微笑む。 そっか。そうだよね。それじゃあ… 「ミナでいいですよ!」 わたしは返す、いつもの言葉。 「そうね。私も美王でいいわ、ミナさん」 「美王先生!」 わたしはもう一度頭を下げる。心の底から示す、感謝の気持ち。 「今日は本当に…ありがとうございました。美王先生と会えてよかったです」 「ええ、私もよ。ミナさんと会えて嬉しかったわ」 極自然に、わたしたちは握手を交わした。 「よかったら、また後でゆっくり会いましょう。今度は仕事中じゃないときにね」 「そうですね。嬉しいです、美王先生。またどこかで」 別れを告げた後は、その姿が校舎内に消えるまで、わたしはずっと美王先生の後ろ姿を見つめていた。 あの人が英美王先生。サンにとって特別な人。 すごく美人で、わたしよりもずっと大人で。 その姿から。立ち振る舞いから、言葉から、「気品」というものを感じさせる。 わたしもいつか、あんな人になれるだろうか… ぼんやりと見つめていた校舎から、新たに現れる小さな影。 タタタッと、まっすぐこちらへ駆けてくるその影は… 「あ…」 「や、ミナ!」 今日のわたしがずっと待っていた、サンその人だった。 「どーしたのさ今日は。バイクは問題ないよ?」 「ん…いや別に…若い少年たちに会いたくなってさ。何となくよってみただけだよ」 「またうちの生徒をかどわかしに来たのかー、悪い大人だなー」 「失礼な! いいじゃないたまには」 「でも残念でしたー、終業式で全然生徒いなかったでしょ」 「いいもん! タスク君には会えたもんね!」 「ええっまた!? タスク危ないなー。そろそろミナの魔手から守ってやらなくちゃ!」 「うっさい!」 放った猫パンチはサンの頭の跳ねっ毛に吸い込まれて、ポスン、と期待はずれな音を立てた。 「ミナさあ…実は相当長くいなかった?」 「う…いや…」 はたと止まったサンの目線の先には、わたしが時間を持て余して飲んでいた、三つ重なった空き缶があった。 うーん…失敗した。怠慢しないでちゃんと捨てておくべきだった。 「こんな真夏に何やってんだよ、熱射病になるぞ」 「お生憎様、猫は寒がりなんです。その分暑いのは結構平気なんだよ」 「っていうかホントに長い間何してたわけ?」 「えー…っと…」 言い訳を探すわたしの頭に、不意に ――ちゃんと言わないとわからないかも…―― 美王先生の言葉がよぎる。 そうだよね。逃げてばかりじゃ何も変わらない。ですよね、美王先生。 「サンをさ、待ってたんだよ」 「…え?」 「サンに会いたくて、ずっと待ってたんだ、わたし」 「…何でさ?」 「………ふぅ」 お見事。素晴らしい鈍感っぷりだ。 わたしの気持ちに気付かないまでも、何か感じるものはないのかコイツは。 君が好きだからだよ、サン。 好きな人に会いたいっていうのに、何か理由がいるかい? こんな何かのついでのような場面で、さすがにそこまで言うことはできなかった。 ベンチに置いてあったグローブを、後ろ手にサンに向けてポンと投げる。 もう一つのグローブをはめてボールは右手に、サンに振り返った。 「サンとキャッチボールがしたかったんだよ! ほら行くよ!」 「えっわっ、ちょっと!!」 サンは慌ててグローブをはめると、わたしの球をパシンと受け取った。 「いきなり何するんだよう」 愚痴を言いながらも、サンはいい球を投げ返してくる。 「ハハハ、油断してるサンが悪い」 そうやって話しながら、少しずつ距離を開けていった。 夕暮れの校庭で、サンと二人。ボールと言葉のキャッチボールが続く。 言葉を投げて、ボールを投げる。 「さっきね、美王先生と話したんだー」 「えー、英先生とー?」 「うん。綺麗な人だねー」 「でしょー」 「すごく大人だよね。サンとは大違いだ」 「うるさいよ!」 「アハハハ!」 こうやってサンをからかって笑っている、これがわたしなんだ。 わたしはたぶんこれからも、美王先生のようにはなれないだろう。 でも、これでいい。そう思う。 わたしは変わらない。変わらずに想い続けていれば、この気持ちは届くさ。届かせてやる。 いつかアイツを振り向かせてやる。 グローブの中のボールを、ギュッと握りなおした。 「サン! 覚悟しときなさいよー!」 大きく振りかぶって思い切り投げた速球は、サンの胸の正面でバシンとグローブに収まった。 「…へ? 今何か違った?」 「あ、ひどーい! わたしの思いの丈を込めたボールだったのにー」 「えー、ちょっと速いだけで何にも変わんなかったよー」 「ちぇー、残念」 今はまだ、わたしの気持ちは届かない。 でも、いつかきっと、ね。 やがてキャッチボールの音は止まり、一学期の仕事を終えた佳望学園は、夏の星空に包まれていった。 <おわり>
https://w.atwiki.jp/jujin/pages/895.html
校内焼き芋屋さん/席順変えて②/地味 ≫482 そら先生……(*゚Д゚) サン先生「台車で走り回れば面白いと思っていた、今"だけ"反省している」
https://w.atwiki.jp/jujin/pages/297.html
スレ3 172 リルフィ 172 名前: 創る名無しに見る名無し [sage] 投稿日: 2008/11/27(木) 19 24 52 ID BXcOsCDA 穴蔵に萌えすぎたので頑張ってみた
https://w.atwiki.jp/jujin/pages/188.html
ディフェンス 331 :名無し・1001決定投票間近@詳細は自治スレ:2008/11/01(土) 18 16 36 ID YiQs1kiX ≫69で伏線といった割に薄味になってしまった\(^o^)/ 某所で1枚だけうp済みですが回収。 馬鹿だけど Trick or Treat!! あと紙袋と聞いて、てっきりこんなB級ホラーのあれな 奴かと……これでボディーガードのバイトできる気がする!
https://w.atwiki.jp/jujin/pages/507.html
車窓から 254 名前: 創る名無しに見る名無し [sage] 投稿日: 2009/01/31(土) 00 09 29 ID jhFQ1CQi ≫234